Out of R

自分が感じたこと、思ったこと、考えたことを自由に書きます。

百田尚樹の作品

一回売れた小説と同じジャンルのものを書く方が、ファンが固定され、定評が付き安定した売上を見込める上に、前作を書くに当たって手に入れた知識等を活かしやすいのですが

百田尚樹氏は基本的に作品毎に違う世界や業界のお話を書くことで有名な作家さんです。

飽きっぽいとか、作品の本質が舞台設定などとあまり関わりがないなどの理由で、そういう書き方をする作家さんは他にもいますが、彼の場合は、ちゃんとその世界や業界について、調査や取材を丁寧に行って、その舞台設定を有効に活かした作品を書いてるような気がします。なので、その世界や業界の教科書的な性質もあって、勉強にもなったりします。小説や漫画、ゲーム等で楽しみながら得た知識って定着率が良いですしね。

ちなみに彼の文のタイプに注目して読んだことはないので、はっきりとは言えませんが僕のイメージではあまり癖がない文章で綴っている作家さんだと思います。よく言えば読みやすい、悪く言えばつまらない(笑)

著作では「海賊と呼ばれた男」「永遠の0」等が有名ですかね。「モンスター」や「プリズム」「風の中のマリア」等を僕は読んだことがあるのですが、個人的に一番面白かったイメージが強いのは「ボックス!」です。数年前に読んだので、内容は正直全然覚えていないし、あらすじも全く言えないのですが、夢中になって読んだ記憶があります。

ボクシングの話です。

 

思い出が美化される所為か、昔読んだ作品の方が面白かった気がするんですが、僕の読み方が厳しくなったのか、趣味が変わってきたのか、読んだ時の僕の状況の問題か、実際に今改めて読んでみると、そんなに面白くなかったりします(笑)

もしかしたら、この作品もそうかもしれませんね。

ただ映画化されたりしてているので、僕の記憶があてにならずとも、一般的な目線から見てそこそこ面白いはずですよ多分。

僕の知る百田氏の作品では一番青春っぽくて、誰でも楽しめる作品じゃないかと思います。

 

あ、今思い出しましたが「夢を売る男」は読みやすくて、他の長編作品とかとは別ベクトルで面白かった短編連作(って言うのかな?)です。出版業界の黒い所を面白く描き出しています。僕がその業界に興味があるから特に面白く感じたのかもしれませんが、自費出版等を考えている人は是非一読の価値あり。

 

個別に紹介するか悩んだんですが、僕がブログ読者の立場だったら、参考にするかは自分で考えるからとりあえず悩んだら、紹介するだけしてほしいと感じるので、紹介します。

「モンスター」はどこかに行ったときの行き帰りの電車の中だけで一気に読み終えるくらいには夢中になったので、ストーリーがある程度記憶に残っている範囲のちゃんと読んだ百田尚樹氏の作品の中では一番面白かったかもしれません。非常に(異常にの方が適切かな?)ユニークな顔立ちの女性が美容整形で生まれ変わっていく…っていう話です。

美容整形を考えている人や興味がある方は勉強にもなると思います。

 

 それぞれ興味がある方は、インターネット等でレビューを見たり、本屋や図書館で眺めてみるとどんな内容か分かるかなと思います。今後も色々な作品を紹介したいと思っていますが、話をちゃんと覚えておらず上手く書けなかったり、必要以上に脚色したアオリ文を書いてしまいそうなので、ブログ上では僕自身はそんなに詳しく紹介はしませんので悪しからず。

最後までご覧頂きありがとうございました。

伊勢弁、初めての…、テレビ局の人(SNSとコミュニケーション、暗号解読、小並感の話)

東京で崩れてしまった伊勢弁を直してくると言って帰省したわけですが…

伊勢の人でわざわざ合宿で免許取るのは僕くらいのもので、伊勢弁話してる人がいないどころか、愛知、奈良、大阪、東京、青森等々色々なところから来た人ばかりでした。

余計に伊勢弁崩れちゃった。てへ(真顔)

僕に限らず、大多数の人は(笑)とかwwwとか顔文字とかを真顔で打ってるので、シュールですよね。

SNSのやりとりは表情が見えないから…という風な言説をよく見かけますが、SNSの文章中の方が絵文字、顔文字、スタンプ等々を巧みに用いて、現実よりも表情豊かになっている人もいますよね。

SNSのやりとりばかりで直接的な対面コミュニケーションが不足してるから、若者のコミュニケーション能力が低下しているというのは、乱暴な話です。直接的な対面コミュニケーションを主軸に置いた上での議論は、ここまでSNS等が発達した現代に馴染まないように思えます。

対面コミュニケーションが苦手でSNS上のやりとりの方が上手くできるのなら、そうやってコミュニケーションを取った方が効率的です。

将来的には直接的な対面コミュニケーションは廃れて、テクノロジーを通しての間接的なコミュニケーションが主軸になる可能性があります。(少し非現実的かもしれませんが、部分的には十分にあり得る妥当な話です)

そうなるとすれば、今はその過渡期と言え「SNS等を控えて、対面コミュニケーションで既存の形態のコミュ力を上げよう」とするよりも「もっと間接コミュニケーションを磨いて、対面コミュニケーションよりも効率的に情報や感情を伝達できる技術、新たな形のコミュ力を高めよう」とするべきなのかもしれません。

若者の絶え間ない文章のやりとりは、中身がなくて下らないように見えるかもしれませんが、よくよく観察すれば、こと感情の伝達や共感に関して、驚くべき早さで非常に洗練された効率的な表現を生み出していっています。

そして、それはいずれ対面コミュニケーションのそれを凌駕するかもしれません。

 

この件に関して、まだまだ続けられそうなんですが、元々何の話してたかも忘れたんで、次の話題に移りましょう。

 

サークルの合宿の費用を払うと流石にお金が尽きそうなので、昨日初めてお金を下ろそうとしました。

暗証番号は僕の好きなキーワードをとある変換を施して、あるルールに従って並べ替えたものだったのですが、それを考えたのって数年前の、僕がこれまでの人生で一番頭の回転が良かった時期なんですよね。つまり、今の僕は当時考えたちゃんとルールを覚えておらず、頭も当時より悪くなっているので、全然解読できない。結局4回くらい暗証番号間違えた上で、勘をフル活用して正解にたどり着きました。

3回間違えたら下ろせなくなると聞いていたのですが、普通に下ろせたので良かったです。(良かったのかな笑)

 

あともう一つだけ書こうと思っていたことがありました。

今日の朝、日本テレビの人に話を聞かれました。全然大したやりとりではなかったんですが、こういうのに遭遇すると、自分東京に戻ってきたんだなーって思いましたって言う何のオチもない話です。

今の文章に (小並感)意味:「小学生並みの感想」

って付けようと思ったんですが、よくよく考えてみると、平均的な小学生の感想って、ネット上とかで(小並感)が文末についてる文章よりもしっかりしてることが多い気がします。そういう面白い表現で、実際に小学生並みかどうかってのは問題ではないのですが、少し違和感を覚えたので止めました。

やっぱり、小学生って結構賢いと思います。僕が小学生の頃、大人が小学生向けにしてくれる話とかって大抵レベル低過ぎて、馬鹿にすんなよってイライラしていた記憶があります。

今の自分と記憶の中の幼い自分、多少記憶がねじ曲がっているとは思いますが、それでも単純な思考力や理解力はそんなに変わっていない気がします。

一般的な知識や考え等の表現の仕方を得ただけで、本質的な思考の深さは変わっていないと思いますよ。

だから、僕は小さい子と話すときも、内容自体は僕の話したいこと、あるいは彼や彼女が聞きたがっていることを子供だからといってレベルを下げることなく、適切にきっちり話したいと思います。勿論分かりやすい語句を使うようには心掛けますが、って書いてて思ったのですが、大人と話すときもわざわざ難しい言葉を使わずとも分かりやすい言葉を心掛けた方が良いんだから、それすらも子供と話すときだけに心掛けるものではないですね。

年齢や知識量、性別などではなく、相手の個性や心情に合わせて、お話ができるようになりたいものですね。

 

ここまでお付き合い頂きありがとうございました。

 

 

君の膵臓をたべたい 読了

夏休み入ってから、精読せずに流し読んだものも含めて大体15冊くらいは本を読みました。

その中で買ったのはこの本だけです。

面白かったから買ったというよりも、タイミングの問題ですね。図書館では借りられてたし、200pくらいまで読んだ時点で本屋さんを離れることになったので、先が気になり買いました。

基本的に僕はケチですが、欲しいものとギャンブルには金を出すタイプだと思います。

いかにも駄目そうなタイプですね(笑)

僕は速読などは一切身に付けていませんが、割と本を読むのが早いので、短期間借りたり、買わなくてもその場で読むので十二分に読める。逆に短期間で読み切ろうとできないような本は多分読みたいと思ってないんです。ただまぁ、大学に入ってからはあまり深く考えずに何となく買おうと思ったら、買うようになりました。なんででしょうね(笑)

 

少し僕の読書スタイルは変わっていて、非常に感覚的に読んでます。

 

読む気がしないところを飛ばして、読みたいところから読んだり普通にしちゃいます。

途中まで読んでいても読む気がしなくなったらその時点で続きは読みません。12 冊で完結する作品の最後の1冊の途中で読むのをやめた経験もあります。

 

本に限った話ではないのですが、僕は自分の好きなものを語るのが非常に苦手です。

おすすめとか聞かれても、基本的に無難なものしか答えないです。

多分、自分な好きな作品が否定されたりするのが怖いんですよね。

また、それとは反対に他の人には自分の好きな作品を分かって欲しくないという気持ちも少しありますね(笑)

とか言ってるくせに、僕の趣味は結構ミーハーなので、ランキングトップ10とかに入るもの大体気に入ってます(笑)

あんまり深く読んでないのに、結構作品に文句をつけたりしちゃうんで、書評は全然できないと思います。

よく読んだら意味が分かるのに表面的に読んで、「折角途中まで面白いのに、終わり方が意味不明」とか言っちゃうタイプです(笑)

理屈っぽいから、何が駄目で、どこが良いとか一応最もらしく言えるとは思いますが、結局感覚に理由付けしてるだけなので、書評しても一貫性とかは全く出ません。

 

基本的に僕の感想は、面白いかどうかにしか意味はないと思います。

どこが良いかって聞かれたら、展開がどうで、ここで主人公がどうこうって語りますが、あまり意味はないです。

 

このままだとただの僕の読書スタイルの話になりそうなので、「君の膵臓をたべたい」の意味のない書評とも言えない感想を少しだけ言いますね。

 

まぁ、設定はよくあるボーイミーツガールもの(?)って感じです。ただ個人的にはそういう設定が結構好きです。

設定は比較的ありきたりなこの作品どこが面白いのかと言えば、文章が結構面白いと思います。会話のセンスとかが好みでした。

全ての作品は面白さが一番重要だと僕は思ってます。文学的、芸術的な意味なんてどうでもいいと思っています。

何の教養や含蓄がなくても面白ければ、それだけで良い作品だと考えます。

そのためには一文、一文、一会話ごとの面白さが重要です。大きな意味の筋の通ったストーリーなんてなくても、その一章分が面白ければ、ページを捲る価値がある。読後に何も残らなくても、読んでいる間の楽しさがあればそれで十分です。(まぁ、どんな下らない作品にも、得るものはあったりするし、面白い作品ってのは結局意味がある作品で、本当に読後に何も残らない作品はないかもですけど)

「何の中身のないのに面白い所為で、有意義に使えたかもしれない貴重な時間を使って、最後まで読んじゃったないか」

そういう作品って最高でしょ。

自分に取って絶対必要じゃないのに、それっでも読ませるだけの魅力があるわけだから。

そういう意味で、質の高い文学作品等と比べても、薄っぺらいラノベや漫画とかも非常に価値があると思います。

ただ、薄っぺらいラノベの結末とか、トリックや謎って薄っぺらいことが多い気がします。

個人的に、一文の面白さを求めるなら詩や格言。一章の面白さを求めるならラノベ等。一冊の面白さを求めるなら良質な文学作品だと思います。

 

話が脱線しましたね。

 

大枠の設定はありふれても、文章が面白いので、キミスイ(略称?)は素敵な作品って話です。

重厚な文学作品とかって、僕みたいな薄っぺらい読者からすると、心理描写とか情景描写がしつこかったり、ウザいと思っちゃいます。ただそれがあるから一冊通したときの完成度や何とも言えない読後感を生み出すのだと思います。

その点この作品は、文章が読みやすくてそんなにウザくないです。ネット発の作品だからってのもあるかもしれませんね。

僕、小学生の時くらいからweb漫画等を尋常じゃなく読んでる(全然覚えてないのや短編も含めると数千作品越えてるかも)自負がありますので、ネット発の作品ってことに関してレポート数本書けちゃいそうなんですが、作品の内容を語る上では無粋です。環境等に関する分析の話は内容に対しての後付けにしか過ぎないですしね。

また話脱線しましたね(笑)

何て言うか、薄っぺらくないけど、読みやすくて質の高い作品です。

設定同様にありきたりな展開かと思っていたのですが、終盤の展開そうくるか!?ってなりましたね。少し無理をした展開だと思いました。その転(起承転結の転)に対して綺麗に締められていた感じはしませんでしたが、それを差し引いても単純な僕のような読者を良い意味で裏切る展開でしたし、総合的に見て買って良かったと思いました。

この作品だけじゃなく、大学入ってから読む作品の終わり方の大半は薄っぺらかったり、都合の良い話だったり、あっけないなどなど、綺麗じゃない終わり方だと思ってしまうことが多いです。

大学生が時間ありすぎて一気に読める上に、僕自身が感覚的に飛ばしながら読むため、本を読み始めてから数時間で全部読んじゃうので、あっさり終わったように思ってしまうことが原因であり、作品の所為ではないかもしれません。

アニメとかも1日に1クールくらいなら一気に見ちゃうので、作中では数年経っていても、僕の中では一週間も経ってないので、なんでこいつらこんなに想い募らせてるんだろうって思っちゃったりします(笑)

なので、4クールくらいの作品じゃないと、あまり感動できないという悲しい事態が頻発してます。

「あの花」も話数少なかったし、「ここさけ」の漫画版も一時間くらいで一気読みできちゃえる量なので、全然泣けなかったのはその所為かもしれない。

でも、映画館で見ても二時間だから、感動したりできないのは時間の問題じゃないのかな

?笑

でも、漫画と違って音楽があるというのは大きいし、映画館で映画見てたら結末に感動できたのかな?

始終一貫性のない内容でしたが、お付き合い下さってありがとうございました。

僕に限らず全ての人に当てはまると思いますが、書く方が読む方よりも各段に時間がかかるので、自分ではダラダラ長文を書いた気がするのですが、読む方から見たら一瞬で読める量だったりします。多分この文章もそうだですよね。LINEとかでも一万字とか超えなかったら、個人的にはあまり長文だと思いません。グループでは流石にやりませんが、個人とかでは僕普通に数千字単位の文章送ったりしますしね(笑)

とりあえず、「君の膵臓をたべたい」は面白かったです。

ちなみに夏休み入ってから読んだ小説で僕が他に面白いと思ったのは、

「僕は小説が書けない」中村航乙一

「九つの、物語」橋本紡

です。

他にも随時面白いと思える作品を読んだり、思い出したら気紛れで紹介します。

前述の通り、解説したりしてもあまり意味はないので、どんな感じで面白かったか否かしかくらいしか基本的には書かないと思います。

当然、コメント欄等で興味を持って個人的に問い合わせてくれる方がいたら、ある程度は喜んで説明しますよ。

 

では

 

 

 

 

 

 

 

 

反則を取りまくる審判になろう

  スポーツの審判って緊張しますよね。公式戦でやったことはないのですが、僕も中学の時バスケをやっていたので練習や遊びのゲームでは審判をしたこともあります。そこで、審判をやったことない人も想像はできるんじゃないかと思いますが、反則とかでブザー鳴らすのって凄く緊張するんですよ。自分みたいな未熟者が勝敗を左右してしまうような判断をして、間違ってたらどうしようって思っちゃうんですよね。

 ただ当時僕はこの結論に至りました。

「審判をやるからには、ガンガン反則を取るべきだ」

 まず、反則の取り方が多少おかしくても両チームに対して同じ基準で平等に取るなら、不快に思われることなさそうです。更に、びびって全然反則を取らない審判って、良くも悪くも存在する意味ないですよね。ブザー鳴らさないならその審判いなくても同じですから。じゃあ、審判やるならガンガンブザー鳴らそうってなったのです。

 なぜ急にこんな話をしたかというと、僕にとって審判をすることはブログをすることで、反則を取ることは記事を更新していくこととして、当てはめることができるなって思ったからです。というわけで、良くも悪くもブログ始めた意味があるように、多少おかしくてもガンガン更新していこうと思いました。

ためになる文章を

 いざこうやって書くとなると、難しいです。あまり気にせず適当に書けばいいのだと思いますが、僕は事務的な連絡や必要最低限の方向以外で、自分の趣味の範疇でまとまった量の文章を書くときは、読む人のためにならない文章はなるべく避けたいと思っています。といっていつまでも書かないと、そのまま終わっちゃいそうなので、今日はこのことについて書きたいと思います。

 文章を読む、そして、感想や意見を考えたりする。その過程で読者は労力や時間を使うことになります。少し見方を変えると、その労力や時間は筆者によって奪われているものだと言えそうです。そのため、自分の文章が相手から時間や労力、(場合によってはそれ以外にも様々なものを)奪っているのだから、自分は相手から奪うものに見合う何かを僅かでも文章の内容(面白いか、ためになるか等々)から返したい。だから、意味のない内容は避けたいと思って、悩んじゃうって話でした。

 

ブログ開設理由と内容について

 なぜブログを始めたのかという所から述べます。それは自分の思うことを文章にしたいという気持ちがあるからです。

 ではなぜブログという形で自分だけが見る日記などではなく、外部に公開するかというと、他者を意識してきっちりとした内容を書けるようにしたい、意見、感想等の反響が欲しいためです。

 LINEでは「友だち」にしか見てもらえない。Twitterでは十分な長さを書くことができない。そして、どちらにしろあまり自由に書けません。LINEやTwitterでは僕の文章を見たくなくても、非表示にしなければ目に入ってしまいます。それで煩わしく思われてブロックされたら単純に悲しいですし、本当に大事な連絡に支障が出てしまいます。だから、基本的に自分が書きたくても、一般的に理解が得られにくい内容、書き方は避けることになってしまいます。しかし、ブログにしてしまえば、見たい人だけが自由意志の下で見るようにできるので、自由に文章を書くことができます。

 そんなわけで基本的に好き勝手書いていくので、内容がどうなっていくかは分かりません。ただ今までLINEやTwitterでは個人のやりとり以外では、基本的に何かを批判する内容、性的な内容、特定の人にしか通じない内容、差別的な発言等は避けてきましたが、ブログでは内容に関してあまり配慮はしません。必要に応じて多少は表現を工夫するつもりですが、それにより僕の言いたいことが上手く書けないようだったら書く意味が薄いので、そうならない範囲で行いますから、その工夫がどれくらい機能するかは微妙です 。ただ、これは「文句を言うなら見るな」と言っているわけでは決してないです。それは言い過ぎだ、気持ち悪い等と言ってもらって構いません。ただそれを聞いても内容を訂正したり、発言を撤回したりするとは限らないです。一応相手の論に納得したらなるべく撤回するつもりですが、僕は子供なので意地を張ってしまうこともあるので、そういうときは温かい目で見てやってください。

 まぁ、こんな注意書き(?)をすると、一体何を書くつもりなのかと思うかもしれませんが、基本はTwitterや昔投稿してたLINEのタイムラインや個人で時々送る長文などの延長線上の内容なので、自由に気軽に読んでもらって 大丈夫です。

 とりあえず、しばらくの間は更新したらTwitterに記事名と要約を流すので、気になったらチェックしてくれると嬉しいです。ブログを始める理由のところでも述べた通り、リアクションが欲しいので、誰からの意見、感想も大歓迎です。

 それでは今後読んでくれる方はよろしくお願いします。今後読む気はないって方もここまで読んでくれて本当にありがとございました。